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『 冬  の  人 』 投稿者:多聞 さん 投稿日:2002/03/05(Tue) 00:55 No.1  

想い出詰まった綿帽子
春待つぼたん雪が降る
大好きだった貴方を想う

終わることなき囁きで
心の中に広がった

白く綺麗な綿帽子
いつも夢見るぼたん雪
僕は貴方を追っていた

ふわふわ輝くぼたん雪
ホタルのような綿帽子

貴方をそっと触れてみた
知らなかったよ冷たいよ
にわかにそれは溶け消えた


第1回目レビュー。 Aya-Maidz. - 2002/03/05(Tue) 00:56 No.2  

時に私が詩を添えるのに困るくらいに素敵な投稿詩がありまして。しかも最近投稿数が増えてきた都合、すぐに投稿板の下の方に潜っちゃうのがしのびなくて。なら、そんな投稿詩を月一篇の割合で取り上げてレビューしてみようかと。そういう企画。

そのレビューの第1回目は多聞さん『 冬  の  人 』。
色々なところで名前や詩を拝見する方で、また熱烈なるファンも抱えてらっしゃる結構有名な方なんですけれど、まさかこんな零細サイトにまで来ていただけるとは。感激は感激なんですけれど、なんとなく恐縮(苦笑。

さて。
この詩、普通に漢字が用いられているにも関わらず、そうとは感じさせないくらいにやわらかい表現とイメージを抱かせてくれる、これまで別のサイトで見てきた通りの本当に多聞さんらしい詩というのが読後最初の印象でした。

二連目の

> 終わることなき囁きで
> 心の中に広がった

の「終わることなき」の部分だけが古文的表現の助動詞“き”が使われちょっと固さを感じないでもないんですけれど、リズム感を優先したのでしょう、全体として流れる音感は統一されていてリズムが作る詩のイメージを筆者が如何に大切にされているのかを伺わせます。

では内容面。
タイトルの『 冬 の 人 』及び

> 想い出詰まった綿帽子
> 春待つぼたん雪が降る
> 大好きだった貴方を想う

という一連目の書き出しで冬の詩であることは分かるのですが、この中で“春待つぼたん雪が降る”という部分から春の訪れを感じ始める冬の終わりを暗に伝えてくれてます。そもそも“ぼたん雪”が冬〜春の季語なのでそれだけで十分推察できることではあるのですが。

私の住む関西(京都市)の冬の終わりのイメージと記憶が正しければ筆者の暮らしてらっしゃる雪国の冬の終わりのイメージは違いそうで、その辺りの誤差がどれくらいのものかが気になるのですが(京都では冬と春の狭間で雪の降った記憶がほとんどない)、それはとりあえず置いておいて、一つの季節が終わっていくその儚いイメージが“貴方”への思慕の念と綺麗にリンクされていてより一層の情緒が生まれています。


第2回目レビュー Aye-Shaluga - 2002/03/05(Tue) 19:23 No.3  

ということでいきなり乱入です。はや。
はじめまして。というか、私はなにげにちらりと存じてますけどね。
恋愛詩集「恋詩織」を購読させて頂いています。
ちらりと、ですけどね。
そんな感じで。

この作品は詩というよりも、うたという感じでしょうか。
過去の人とぼたん雪を重ねているのですね。
その重ね合わせによる影響が大きいですね。いい意味で。
ひっそりとした悲しみを読み込んでいる辺りも、うたとしての詩情があるなあと。
冬の冷たさだとか雪のはかなさ、っていう象徴的なものも含めて。あくまでもひっそりと。
タイトルのつけ方も、地味ですけど私は巧みだと思いました。
主題ではなくて、あくまでもタイトルとして。

まあ気になったと言えば私的にはリズムが。
あえて指摘するのも野暮かもしれませんが、あくまでも土台かなあとか。
それと思い出を喚起させるラインというか。
その辺を少しはかりかねているのかな、という印象をもちました。


安易に関連づけるのは失礼ですけど、童謡の「しゃぼんだま」に近い雰囲気ですね。
というか単に私が重ねているだけなんですけど。
ご存知かもしれませんが、あの詩は亡くなった娘さんに対して書かれたものらしいですね。
この作品はあちらほど暗喩的ではない、というか雪と貴方が明確に交錯していますけど。
だからなにというわけではないですけど。

というかむしろ、Ayaさんの講評から進展がないのが情けないです。みたいな感じで去っていきます。。
今日はどうも思考がはっきりしないというか、そんな後味の悪さを残すなよ。みたいな感じで。
てか、1ヶ月もネタはあるのかし、とか石を投げてみる。


Aye-Shaluga のいうとおり! 多聞 - 2002/03/13(Wed) 21:00 No.4   <HOME>

ネタを・・・・

詩と詞と短歌(みんな、うたってよむ)・・・・どこがちがってるかなぁ・・・・
みなさんが詩人なのでとても大きな課題ですね。これでひと月もつでしょう!
詩ではなく「うたである」のことについて語りませんか?
なんか、ワクワクしてきました。


笑。 Aya-Maidz. - 2002/03/14(Thu) 06:20 No.5  

もともと掲示板の特性上埋もれてしまう投稿詩を
もう一度掘り出してみようって企画なので、
ネタがなくてほったらかしてたわけではないんだけどね。
まぁ、前のコーナー紹介通りサロン的になれば
理想としては良いなぁ、とは思ってたけど。

> 詩と詞と短歌(みんな、うたってよむ)・・・・どこがちがってるかなぁ・・・・
> みなさんが詩人なのでとても大きな課題ですね。これでひと月もつでしょう!
> 詩ではなく「うたである」のことについて語りませんか?

残り半月、これで行ってみましょうか。
願わくば確定申告終わるまで、待ってほしいけど(苦笑。


Re: 『 冬  の  人 』 Aye-Shaluga - 2002/03/19(Tue) 16:47 No.6  

いつのまにやらネタが出ていたのでひょっこりと。
活発になるのはいいことじゃないですか。(笑)
てか、難しいのでとりあえず表面的に。

単純に短歌はもう分類が明確に違いますよね。
あれは韻文になりますし。
まぁ実際に短歌は朗読してこそみたいなものだと思います。

詞は一番怪しいですよ。私的には。
歌詞なんかを主に詞と呼ばせて頂いているんですけど、音楽と共存することでうたとして成立しているわけで。
単体ではそこまで主張がないかなとかいうのはまた別の話ですけど。
でも単体でうたとして認識できるかは微妙。
なぜなら私が引き合いにだしている詞の質がよろしくないからでしょう。(笑)

詩の話でもないんですけど、たとえば七五調のリズムだとか、頭韻だとか脚韻だとかって基本的には装飾的だと思います。
いくら効果的に使っても(もしかして緩急が理解に与える影響は除いて)本質は変わらないですよね。
朗読でも黙読でもなにかとリズムがうたに近接するポイントかなとか。
散文なんかはぜんぜんうたっぽくないですしね。
というか不用意な発言が多々あるような気がしないでもなくなってきました。あわわ。
むしろ論点あってるのかし。


Re: 『 冬  の  人 』 藍里 - 2002/03/22(Fri) 20:33 No.7   <HOME>

突然乱入して良いのか・・・(汗

なにやら、優しげな詩ですね。
文句(笑)のつけようのない・・・・
個人的に好きです。
ただ、なぜかは分からないのですが、
>ふわふわ輝くぼたん雪
>ホタルのような綿帽子
のところの「ぼたん雪」の箇所だけ気になりました。
なぜかは本当に分かんないのです。
こんな根拠もないこと気にしないで下さいね。

それと、詩と詞と短歌について。
私もちょっと自分の意見を・・・
短歌は、私もAye-Shaluga さんと同じ意見ですね。
すでに、全然違う、独立しているかなぁと。
でも、詩と詞はちょい、境界線が曖昧よ、アナタ。(アホ
私は、「詩」はストレートに思いを告げる。
「詞」は少し曖昧に、遠回しに思いを告げる。
そんな感じで自分では書いてますね。
でも、絶対こんな書き方してるの私だけかと・・・。
あぁ、なんか、もしかして私かなり場違い?!
だったら、ごめんなさい(汗


Re: 『 冬  の  人 』 Aya-Maidz. - 2002/03/25(Mon) 04:17 No.8  

そりゃ、突然だろうがなんだろうが乱入歓迎ですとも。>藍里さん

個人的には伝えたい形で表現できるなら方法なんてどうでも良かれって思ってるんだけど、とりあえず。

詩と詞と短歌って何が違うかって問われれば、まぁ最初に形式…、特に短歌は基本的に定型詩なんでそこに目がつくんだろうけれど、みんながそう口にしそうなので目線を換えて一つの推論を導いてみるならば、口外に伏せる部分が一番違うんじゃないかなぁ。なんて思うのよ。さりげなく。

例えばね。
短歌って五・七・五・七・七ってな基本形があって、普通その中に収めるものでしょ。で、語数も限られるから口外に伏されるのが前提になる部分が出てくる。

「音に聞く高師の浜のあだ浪はかけじや袖の濡れもこそすれ」

っていう祐子内親王家紀伊の歌があってさ、別にこれって「有名な高師の浜のあだ浪で袖が濡れるから近寄らないよ」ってことを言ってるわけじゃなくって、あだ浪(=多情な人の喩え)/袖が濡れる(=泣いて袖が濡れる)と転じて「噂に高い多情なあなたの言葉は相手にしませんよ。うっかり受け入れて後で泣くの嫌だから」ってなことを言ってるわけよ。

あと引用が活きるスタイルと言えるかもしれない。

「夜をこめて鳥の空音は謀るともよに逢坂の関は許さじ」

ちなみに清少納言ね。これって元ネタは孟嘗君の逸話の話で、この話が分かると31文字以上の意味をあからさまに組み込むことができちゃう。

こういう半ば反則技って詩とかでは簡略化しすぎって評されること多いのね。本筋と筆者がイメージした作品の組み立てとの折り合いの都合もあるけれど、基本的には引用部分を簡単にでも言及できちゃうから。
それだけに詩って、一篇がある程度独立した作品として捉えられることが多そうな気がするのよ。短歌よりも。

短歌ってそういう手法を用いて限られた言葉数で如何に世界を広く表現できるかっていう部分に一番醍醐味があるんじゃないかな。


で、対して詩。
詩も伏せるべき部分があって、そういう意味で短歌に通じる部分があるんだけど、短歌ほど大胆な伏せ方はできないのよ。短歌よりも文面で表現できる範囲が広いから、下手に伏せちゃうと表意に惑わされて伏せた部分が全く見えなくなる恐れが出てくる。

これを考えると本当の詩の醍醐味って如何に見せるかじゃないかな?って思うのよ。そう、見せるだけ見せて本当に言いたいこと一つだけを伏せちゃう。この形の差が短歌と詩の違い。と捉えてみたり。

詞。これってもう範疇が違うのよね。言葉の意味合い的には。本来言葉そのものを指す語だからね。即ち詩や歌の原形。

ま。そんな感じで。

というか、私が主題を一番取り違えてる。


Re: 『 冬  の  人 』 ミサイル - 2002/04/05(Fri) 17:18 No.9   <HOME>

はじめまして。詩の感想に戻ってしまいすみません…。
僕はこの詩を、恋愛詩とはとらえず、そのまま「ぼたん雪」への想いを綴っていると思いながら読みました。
ふと雪を「貴方」と呼びたくなる気持ちに共感しました。
だから、ぼたん雪は作者にとって『冬の人』なのかな、と。
それだけのことなのに、その時間の流れがすごく美しく感じました。

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