Life is a Flower.

詩の話とかWebっぽい話とか、とにかく雑多に。

2003年12月05日

何が『壁』を作っているのか?

最近はバタバタしてるせいか、普段寄っている詩のサイトでさえあんまり巡回してなかったりもするんですけど、MMだとか、F.y.のログだとかは遠慮なしにメールで飛んでくるわけでして、そのメールに併記されているリンク先とかで誰かの書いた記事とかを読む機会はあったりするわけなのですが。

それを読んで毎回思うのはなんと言うか、詩の世界というかコミュニティーというか、そういったものが持つ壁はやっぱりとても高いです。普段(と言っても良いのかは定かではないほどムラがありますけど)詩を書いている私でさえそれを感じるんだから、きっとそうでない人たちがこういったコミュニティーから感じる壁って、他人を拒絶しているかのように受け取られるのかもなぁ、なんて。

何が原因なんだろうと推測してみるにまず真っ先に思いつくのが、そのコミュニティーが『詩を書く人』で構成されていることだろうか。ただ、そのこと自体はさしたる問題ではないと思うの。それがコミュニティーというものですから、ね。問題の本質は(ほぼ)全ての発言が大枠でそのコミュニティーから発せられているせいではないか。という邪推。

コミュニティーを構成するのが詩を書く人なだけに、とにかく書き手本位なんです。何にしても。

何か信念を持った迷いのない姿勢や眼差しが言葉を超えて伝わると(あるいはほかの何かを)信じるのは自由だと思う。だけど、それは飽くまでも書き手の中の問題でしょう? 重要な一つの要素ではあっても、普通は受け手/読み手の必要十分な条件をそれだけでは満たさない。にも関わらず詩を語る際に多くの書き手は、自身の視点/価値観の外へと脱却しようとはしない(ないし、できていない)。

それができないから、発言者の価値観が外へ向けて露出され、それが意識的かどうかに関わらず書き手本位であること自体を結果として正当化することになる。なぜなら、その前提が崩れると発言の骨子が成立しないケースが多いから。けど、同時に詩の面白さを普段詩を読まない人たちへと伝えようとする気概は消えない。

それならばむしろ、詩の面白さとやらを伝えようとは思わない? 「面白い」だとか「読めば分かる」だとか、そうじゃない。何がどう面白いのか、楽しそうに伝えてみせてよ。んで、詩の面白さを伝えようとするサイトをもっと開けた場であってほしい。と願う。そういうサイトの運営者が現状の自分のサイトが開けた場だと思っているのなら、もう一度じっくりと検証し直した方が良いと思う。

投稿時刻: 01:49 | カテゴリ: /poem/site | 固定リンク

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