Life is a Flower.

詩の話とかWebっぽい話とか、とにかく雑多に。

2003年10月02日

言葉と個性付け

使ってるCGIの都合、公開した文書のカテゴライズが必要で(というか、少なくとも私はそういう認識)、結果カテゴリは詩にしたものの、これは詩に限った話というわけでもなく。

もっと日本語に詳しい人はとうの昔から言及していることなんだけど、書込み主の個性付けのために言葉を崩すのと、間違った言葉をそのまま使うのとは全く意味が違う。と、きずかないだけかもしれないっていうのを見て思った。

特にきっかけになった言葉がひらがなで書かれているだけに、文意そのものを誤読しかねない。

言葉だけで全てを伝え合い、コミュニケーションを取るのはとっても難しいことだと思う。故に言葉を崩して雰囲気を和らげようとしたり、あるいは一様の言葉のやり取りになるのを嫌って言葉の遣い方で個性化を付けようとする発想に行き着くのは(それが正しいかどうかはともかく)、ある意味で自然な過程なのかもしれない。

けど、わざわざ誤読を誘う言葉の遣い方っていうのはどうなのだろうと疑問が沸く。ただでさえ難しいものを更に複雑怪奇にして、にも関わらず「言葉だけでコミュニケーションを取るのは難しい」って言うのは随分と筋違いなんじゃなかろうか、なんて。

端的に言うと、個性なんて内容だけで差別化できる。具体的には私、これまでかつてネット上で「冷たい」とか「クール」としか言われたことがない。要は程度に差はあれ、言ってる内容だけで多くの人にそう認識されるってことの裏返しだと思うのよ。

って言うか、そんなに「冷たい」かぁ?

投稿時刻: 22:38 | カテゴリ: /poem | 固定リンク

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