詩の話とかWebっぽい話とか、とにかく雑多に。
2003年07月30日
“これから”の傾向を考える。
週末に久々にぐるっと詩の投稿サイトを巡ってみて思ったことなんですが、詩を楽しもうとする人の中での傾向はさておき、全体的な傾向として私小説的で直接的な表現の作品が流行っているのかなぁ、という印象。その傾向はむしろ以前からあったという認識してはいるんだけど、夏休みに入ったのも要因か、頻度としてよく見かけるようになったと思う(私が勝手に思っているだけかもしれないけど)。
見方を変えると、当初より一層ネット上で詩や自分の想いを公開するという一つの自己表現が一般的になった……、のかな。on Time の中で傾向を分析しようがないので、その辺りがなんとも言いにくいんだけど。
WWWが一つの、更にこれまでの受動的に情報を受け入れるだけの形式ではないメディアとして認識された昨今、Webサイトを開設して自身の情報(その多くは自己表現なんだけど)を公開できる環境が浸透したという事実の一つの結果だと推測できるんだけど、WWWというメディア特性ゆえか、一人の創作物あるいは自己表現の形が誰かの選別や編集といった経過を経ることなく、本来全くの他人へダイレクトに伝達することが事実上可能になった。
そのことによる功罪はともかく、伝達されうる、ないし伝達されることを(多くの場合作者に)望まれた情報がそのまま伝えられるという情報伝達の新しい構図が、今まさにリアルタイムに新しい表現手法を整形しているんじゃないだろうかと予感させる。
- これまでの手法に捕らわれず、あくまで自身を基準にした
- 適度、且つ容易にまとまる文章量で
- ちょっとした文章修飾によって、単なる記録という域を越える
詩のようで詩とはちょっと違うような、エッセーと言えばそうかもしれないけどどことなく異なった、構造的には小説のような話の筋だけが際立った、でもそれだけといった……、全部を混ぜ合わせたような、アンニュイな。
そういった新しい表現手法(というほど規律だったものなのかはいざ知らず)から量産された作品が、これまでの枠組みと篩い分けで詩とか、小説とか、エッセーなどといった既存のジャンルに分けられて、それぞれのジャンルでスタンダードになっていくような、そんな時世が訪れないとも限らないわけで。